嫌々介護を引き受けた配偶者と子供が介護殺人の容疑者になる日

介護殺人

日本では介護や看病の疲れが原因とされる親族間の殺人事件が増加しています。
終わりの見えない在宅介護の中で将来を悲観し、自暴自棄になり思い詰めた配偶者や子供が殺人を犯してしまうのです。




どうして介護から殺人にまで発展してしまうのか?

無理やり押し付けられたり、嫌々引き受けた介護だったとしても、自分の人生を転落させてしまうような犯罪を犯すまでに追い詰められてしまうのは何故なのでしょうか?

介護の知識を持たないまま介護に携わってしまう

風邪をひいた人の世話をする感覚で高齢者の介護を請け負ってしまった場合、素人知識ではすぐ壁にぶつかってしまいます。
排泄ケアや食事の補助もそうですが、身体が弱った老人への接し方は本当に難しいのです。
前向きに介護を考えている人ならば介護の専門書を読んだりして専門的な知識を学習するかもしれませんが、嫌々引き受けている場合、そのような考えにはなり難く、知識を持たないまま介護に携わることで、次第に精神的・肉体的に追い詰められてしまいます。

在宅介護は閉鎖的で誰の目にも止まらず介護者の異変を周りがキャッチできない

マンションの一室のように閉鎖的な空間で一人の介護者に介護を押し付けてしまっている場合は特に、精神的・肉体的に追い詰められている介護者の異変を周りがキャッチできません。
というよりはキャッチしない、介護者の異変に気付こうとする人がいないのです。
例えば嫁に対して「義理の親の介護は当然の義務」と考える旦那からすれば、介護を気遣う気持ちなど湧くわけがありません。
そのような閉鎖的な空間で誰からも感謝されることなく介護し続けていけば壊れてしまって当然なのです。

酷くはなるがよくはならない

高齢者の年齢が増していけば認知症などの症状が酷くなることはあっても、よくなることはありません。
どんどん過酷になっていく介護内容に自分の体力や精神状態がついていけず、パンクしてしまうのです。

終わりが見えず先行きが不安になる

人の寿命はあと何年あるのかわかりません。
認知症になった高齢者であっても長生きする人はガッツリ生きます。
どんなに過酷でも、終わりが見えるのなら頑張れるかもしれませんが、明日終わるかもしれないし、あと20年以上続くかもしれない介護は、先行きが不安になるのです。

自己犠牲の限界に達してしまう

他人の介護を請け負うということは、その期間中、自己犠牲を払うということ。
それは、自分の「時間」「仕事」「お金」「人脈」その他諸々をどこまで介護の犠牲にできるのか?ということなのです。

若ければ若いほど失うものは大きく、人並みに一通り楽しく生きてきて老老介護を目前に控えたアラフィフよりも、介護を押し付けられて未来を失いかけているヤングケアラーの方が代償は大きいのです。

45歳から60歳までの15年と、13歳から28歳までの15年では色々なことが大きく違ってきます。
人生の土台を形成する時期に介護が降りかかってしまうと、土台は崩れやすくなり、介護から解放された後に崩壊してしまうことも十分考えられます。

とにかく、介護の為に自分の人生を失い、自己犠牲の限界に達してしまえば自暴自棄になり、どんな精神状態になっても不思議ではないということなのです。




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